広島~山口ツーリング23(下関・壇之浦)
源平合戦最後の舞台 壇之浦は、平家がわずか一日で源氏に滅ぼされた地。今では関門橋周辺の一帯を指します。
源氏、平家にまつわるスポットが点在し、いにしえの歴史を辿ることができます。
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赤間神宮
平家の敗北により、平家一門とともに幼い安徳天皇が壇之浦で入水し、平家は滅亡してしまいます。その安徳天皇を祀った赤間神社は、竜宮城を模した平家ゆかりの神社です。
訪れた頃はちょうど先帝祭の真っ最中。 壇之浦の戦いで敗れた平家の御霊を弔う祭事です。
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境内に渡された天橋を、合戦で生きながらえ遊女に身を落とした平家の女官達が歩く「上臈参拝(じょうろうさんぱい)」を観ることができました。
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途中、優美な外八文字(そとはちもんじ・外から内へ8の字を描くような足運び)を踏みます。
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豪華だった平家の繁栄と、悲哀を偲ぶことができました。


平家の一杯水
源氏に敗れ負傷した平家の武将が、命がけで最後に飲んだと言われる海岸に湧き出る清水。
あまりの美味しさに夢中になって二口目を飲むと、それまでの真水が塩水に変わったという不思議な伝説が残ります。
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みもすそ川公園
関門橋のたもと、壇之浦古戦場を一望する場所に「みもすそ川公園」があります。
八艘飛びの源義経像と、碇をかついだ平知盛像が向き合い、かつての決戦の様子を再現しています。
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決戦当初は、海戦に長け潮の流れも味方につけた平家が優勢でしたが、やがて潮の流れが変わると 形勢逆転、優勢となった源氏にわずか一日で平家は滅ぼされてしまったそうです。


歴史体感紙芝居
この公園の一角で紙芝居をしていました。ここ下関で繰り広げられた色々な歴史をわかりやすく伝えようとNPO法人が運営しているそうです。
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今回は、平家の霊に導かれて琵琶を弾いた、小泉八雲で有名な「耳なし芳一」を上演していました。
上で紹介した赤間神宮は、実は明治の神仏分離以前は「阿弥陀寺」といい、境内には安徳天皇の御墓所や平家一門の墓があり、またその横には芳一堂があります。そして「耳なし芳一」の舞台だったそうです。
この阿弥陀寺にいた盲目の琵琶法師・芳一が、平家の亡霊に取り憑かれここで琵琶を弾き、和尚が芳一の全身に経を書いたのです。
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壇之浦はもう一つ歴史上重要な舞台でもありました。明治維新の「攘夷戦」です。
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関門海峡を通る外国船を撃破するため、長州藩はここ壇之浦に砲台を配備、砲撃したのです。結局連合艦隊に徹底的に報復されるのですが、これがきっかけとなり、外国の進んだ軍備に目覚めた長州藩は、その後開国、倒幕の道へと突き進んでいきました。
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みもすそ川公園にはその砲台のレプリカが並び、時折海峡に向かって空砲を鳴らします。
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幕末の歴史の舞台でもあった下関。あの高杉晋作が療養し、最後に息を引き取った「高杉晋作(東行)終焉の地」が、住宅街の中にひっそりと残っています。
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数え年で29歳…27年と8ヶ月の短い生涯でした。


/E-620 LEICA D VARIO-ELMAR 14-150mm/F3.5-5.6 ASPH (2011.5.3)

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by takakunen | 2011-08-31 23:41 | バイクツーリング | Comments(0)


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